


自分以外の何者かになりたいと願い続けて、一人ぼっちの男がいた。その男が、同じく自分以外の何者かであろうとしてきた女に、ある日出会った。舞台はパリのカフェ、柔らかな風が二人の頬を撫でる。お互いに遠慮がちな、でもある種の確信を持って交わされる視線。実にロマンティック。男はマイケル・ジャクソンで、女はマリリン・モンロー。
「君はいつからマリリンなの?」
「おっぱいが大きくなってから、ずっとよ。」
マリリンが優しく微笑む。マイケルはマリリンの愛らしさにたちまち恋し、マリリンはシャイなマイケルをキュートだと思った。二人はお互いに多分、自分の孤独を共有できる相手を見つけたと思ったに違いない。だからこそマリリンは囁き声で、自分が住むスコットランドの高地へとマイケルを誘ったのだ。ある古城に、ものまね芸人の共同体があるという。マリリンは、そこで夫のチャーリー・チャップリンと娘のシャーリー・テンプルと住んでいる。マリリンとマイケルは強く、深く惹かれあっていたけれど、見詰め合うだけで、キスをすることもない。
ところでマリリンの夫チャーリーは、酷く嫉妬深い男だった。
場面は変り、パナマ。救援物資をジャングルに投げ落とすための、小さな飛行機を運転するドイツ語訛りの英語を話す神父。神への愛を証明するために、スカイダイビングする尼僧たち。地球の反対側で、奇跡と不器用で静かな恋が同時進行する。何のために?
おそらく、明日が来るとは限らないという単純な命題を学んで、自由になるために。

生きることは、難しい。
例えば、誰もが持つ「私」という意識がある。でも「個」が世界という名の他者によって成立するとすれば、私を私たらしめている意識は他者との差異によってしか規定されないとすれば、一体「私」とは誰なんだ? または愛という、生理的で不可解な問題。ただ愛するということの難しさ。
シンプルになりきれれば幸せなのかもしれない、でも実際問題として、そうはいかない。信念という問題もある、自分より大きいと感じられる何か(それは神であったり、ポップ・アイコンであったりする)を信じて生きること、そのリスク。そして、生きることは死ぬことでもある――ともすれば、今日と同じ明日が永遠に続いていくような錯覚、あのうんざりするような感覚に溺れがちではあるけれど、実際にはそんな約束など、歴史上一度も交わされたことがないという事実。
だからこそ生きることは快楽となりえるのだという、忘れがちな事実。
8年という長い沈黙を経て、ハーモニー・コリンが作品を携えて帰ってきた。少年の姿を、すっかり大人びたものに変化させて。公開中の作品『ミスター・ロンリー』は、観る者全てが涙せずにはいられないような「本物の」映画である。彼が昔作ったような、若い魂を削ってのみ成立する即興的な記録に似たフィルムとは別の、素晴らしい脚本と演技、演出が混ざり合って構成された総合エンターテイメント芸術であるところの、映画である。しかも、とてつもなくポジティブで希望に溢れた、チャーミングな。
観客は衝撃を受けるというより、「想い出す」だろう。あらかじめ知ってるはずなのに、いつの間にか忘れてしまった世界についてのあらゆることを。あなたが生きるうえで必要な、支えとなる種の、大切な作品になるだろうことを、賭けてもいい。
しかし──、まずはハーモニー・コリンの創作における新たなチャプターを目撃する喜びを、スクリーンの前で共に祝おう。
update : 2008.02.20
title : 『ミスター・ロンリー』

text : akira kuroda
photo : gaga communications
thanks : gaga communications
黒田晶
1977年千葉県生まれ。『メイドインジャパン』で第37回文藝賞受賞。
世界限定40脚。ハンス・ウェグナー「Yチェア」限定仕様登場 09.09.29 UPDATE