


舞踏、というものをご存知だろうか。
1961年に土方巽が体現した「暗黒舞踏」は、それまでのバレエをはじめとする西洋から影響を受けた舞踊とは一線を画したアヴァンギャルドな表現方法であった。日本人の身体的特徴にこだわり、重力に逆らうことなく床を這い、腰を落とし、身体と向き合うスタイルは、澁澤龍彦、三島由紀夫、瀧口修造、四谷シモンなどを魅了し、総合芸術として一時代を築いたものの、80年代の全盛を境に多様化・細分化され、現在ではコンテンポラリーダンスのひとつの様式として「舞踏」と呼ばれている。
そのなかで、今回はいわゆる“第四世代”の若手舞踏家として知られる、ダンスカンパニー『金魚』主宰の鈴木ユキオ氏に舞踏の概念や、新作『沈黙とはかりあえるほどに』(2007年9、10月公演)についてなど、多岐に渡って話を伺った。
――まず、舞踏へと行き着いた過程を教えていただけますか?
進学のために東京に出て来て、初めて“ミニシアター”というものに行って、「映画っていいなあ」と思いました。それで、映画を撮るか役者をやりたいと思って、小さな劇団でお芝居を2年くらいやっていました。でも、セリフに違和感があるというか……稽古で即興をやるのが恥ずかしいというか、言葉に抵抗があったんですね。そんなときに「舞踏というものがある」って聞いて、一度見てみようと思ったんです。
――それはいつごろですか?
22、3のときですね。あんまり有名じゃない、若い人たちの舞踏だったんですが……正直面白くなくて(笑)。寺山修司の雰囲気とかが好きだったから、イメージとしてはハマるんですが、「すごい!」とは全然思わなくて。「じゃあ、自分でやって確かめてみよう」と、“アスベスト館”のワークショップに顔を出したのが最初です。そうしたらハマりました。たとえばバレエだったら、すごいと思っても出来ないじゃないですか。でも、舞踏だと出来るかもしれない。言葉を使っても、使わなくてもいい。「ただ身体があればいい」ということで、すごい衝撃を受けて、色々と調べ始めました。まず、真似したかった。白塗りしたり、坊主になったり。
――最初は真似とはいえ、相当なエネルギーがないと現在に至らないと思うのですが、舞踏の何がそうさせたんでしょうか?
正直、病んでいたんだと思います(笑)。そういう人ってハマりやすいと思う。僕、田舎者だったから、東京にも大学にも馴染めなくて、やりたいこともなくて、本ばかり読んで引きこもっていて。そんなときに舞踏に出会って、「舞踏って情念とかネガティブな部分を表現するのかな」って勘違いして(笑)、シンパシーを感じてしまった。純粋な表現というよりは、場合によってはグロテスクじゃないですか。ぐちゃぐちゃしていて、負の部分、陰の部分を出していくというか……だから惹かれたんでしょうね。![]()

update : 2007.11.07
title : 舞踏家・鈴木ユキオ
text : VAGANCE
photo : shinji kubo
thanks : yukio suzuki
鈴木ユキオ
1997年、アスベスト館にて舞踏を始め、室伏鴻、SAL VANILLAなどの作品に参加。2000年より「金魚」として活動を開始。ダンサーの個性や身体を徹底的に追求し、存在させる演出方法が注目を集める。近年は、横浜トリエンナーレでのパフォーマンス、東京シティバレエ団への作品提供、「アジアダンス会議」参加など、振付家としての活動も幅広く展開。また、舞踏のメソッドを基礎にワークショップも実施。身体を丁寧に意識し、自分だけのダンスを作り出すプログラムを各地で開催している。
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