


――たとえば、舞踏をまったく見たことがない人に、「舞踏ってどういうものですか?」と聞かれたときに、どう説明すればいいんでしょうか? 山海塾と大駱駝艦は全然違いますが、舞踏全体としては、どう説明したらいいのか……。
そうですね。本当にそれは問題だと思います。単純に言うと、暗黒舞踏というムーブメントは土方巽さん一代ではないか、という考え方もあるし、60年代の“時代”としての捉え方もあります。それ以降は、「いかに土方巽から離れるか」ですよね。土方巽から離れるためにも、独自のものを創らなくては、と。でも、共通している舞踏的な感覚はあると思います。カンパニー毎に全然違うけれど、共通する舞踏的なものはある。けれど、説明するのは難しいかな……“舞踏”という生き方ですよね。
逆に、カテゴライズ出来ないから生き続けている、というのもあって。舞踏はカテゴライズされないように逃げ続けているから、発展していく余地や、面白い人が生まれる余地があるんだよね。そのかわり、怪しいものや微妙なものもいっぱいある。だから最近は「舞踏」と言わないようになっているのではないでしょうか。土方さんを知っている世代から「そんなの舞踏じゃない」って言われたら、「はいそうですね」って言うしかない。だから、自分が舞踏家かどうかっていうのは、自分で判断しなくてもいい時代になってきているかもしれない。いまの時代の表現であれば、舞踏じゃなくてもいいって思っている人もいますし。
僕も自分では「舞踏」と言っていませんが、心の中では「いい舞踏家でありたい」と思っています。常に舞踏を意識していて、それが出発点だし、そこに戻ってしまう……そこから逃れたいけど逃れられない。土方さんが作ったものから離れたいし、新たなものを創り出したいと思うのは事実です。ただ、舞踏というのは方法論としては新しくない。現在“コンテンポラリーダンス”と呼ばれているものが出てくる前からやっているし、イスラエルダンスにしても、バレエと舞踏の要素をうまくミックスしていますよね。舞踏を使って自分でどう創っていくか、という時代になっている。だから余計、説明し辛いんでしょうね。
――新しい団体や人がどんどん出てきて、かつて「舞踏」と呼ばれたものは、いまや身体を動かすことだとか、声を発することだとか……突き詰めれば「身体であること」ではないかと思うのですが。
たぶん、「身体って何なんだ?」ってことなんでしょうね。それを突き詰めた人、そこを問い続けられる人は、非常に舞踏的な人だと思います。舞踏家と呼ばれてなくてもね。カテゴライズされないことが、大事なことなのかもしれません。捉えられたら、歴史に組み込まれていくことの始まりだと思うし。いつもはみ出ているものが、“コンテンポラリーダンス”というものなんだと思います。どこにもカテゴライズされなければ、いつも同時代性でいられる。説明のつかないモノやヒトが面白いというか、刺激的なのかもしれない。
――それは日本独特のものでしょうか?
そうですね。いまだに踊りの基本には西洋のバレエがあって、そこからどう転んでいくか、ということですが、日本は舞踏ができたおかげで、違う角度から参入する人たちが増えてきた。僕みたいに、大人になってからダンスを始めることも出来るんだって気付く人もいるし、柔軟な土壌が出来たのかもしれません。アジアをツアーで回っても、やっぱり日本が一番特殊ですね。インドネシアでは「あなたたちのやっていることは、ダンスではなく芝居と言われるものだと思います」と言われました。言葉の限界を悟って、パフォーミングアーツと融合したというか……最初は芝居の人たちがダンスに向かっていったんですね。アジア各地でも、芝居の人たちが身体を意識して面白いことをやりだしていますが、僕らがやっているコンテンポラリーは、まだ海外では新鮮なようです。![]()

update : 2007.11.08
title : 舞踏家・鈴木ユキオ
text : VAGANCE
photo : shinji kubo
thanks : yukio suzuki
鈴木ユキオ
1997年、アスベスト館にて舞踏を始め、室伏鴻、SAL VANILLAなどの作品に参加。2000年より「金魚」として活動を開始。ダンサーの個性や身体を徹底的に追求し、存在させる演出方法が注目を集める。近年は、横浜トリエンナーレでのパフォーマンス、東京シティバレエ団への作品提供、「アジアダンス会議」参加など、振付家としての活動も幅広く展開。また、舞踏のメソッドを基礎にワークショップも実施。身体を丁寧に意識し、自分だけのダンスを作り出すプログラムを各地で開催している。
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